Yaleで、遊んで学ぶ日々。
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囲碁、ときどきプログラミング、ところにより経済。
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When I was driving a nice song came from the radio. I didn't know the song but wanted to listen to it again. Sometimes a radio doesn't introduce the title of songs they play, so the best thing you can do is to remember the lyrics and later google it.
I was driving alone and couldn't take notes, but caught a phrase and memorize it perfectly:
~singing sweet home alabama~
Yes, this would be enough.
Now I came home, and searched for the phrase and got this song:
No, this is not what I wanted! It's kind of same style but different from the one I had listened to.
After struggling for a few minutes, I finally got the song:
How did I mess up? Try listening to it.
btw, I thought he was singing "cocks were between a boy and a man" but that was wrong.
I was driving alone and couldn't take notes, but caught a phrase and memorize it perfectly:
~singing sweet home alabama~
Yes, this would be enough.
Now I came home, and searched for the phrase and got this song:
No, this is not what I wanted! It's kind of same style but different from the one I had listened to.
After struggling for a few minutes, I finally got the song:
How did I mess up? Try listening to it.
btw, I thought he was singing "cocks were between a boy and a man" but that was wrong.
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数十年前は日本製品は「安かろう、悪かろう」というイメージだったと聞きますが、現代ではそのポジションは中国製品が占めているように思います。過度な一般化は差別の温床となりかねませんが、あながちそのイメージは間違いでもないと思わせる出来事が多々あるのも事実です。
先日引っ越してきたアパートの大家は中国からの移民夫婦です。彼らはアメリカで学位を取りかなり高級な職に就いているようで(公認会計士と生物系の研究職だったような)、英語もとても達者です。ですが、契約ほぼ決まりの段階でなんと「リフォームしたらとても良い家になったから家賃100ドル上げるけどいい?」と言い出しました。そりゃひでえ。入居の1週間前にそんなこと言われても困ります。結局、これから家を探すのも骨なのでしぶしぶOKしました。言い分は「すごく良い家だから」「この家なら本来はあと500ドル高くても良いくらい」「それで駄目なら1ヶ月猶予を上げるから他を当たって」だそうです。同居人がいるから冷静に対応できたものの、もし1人だったら心折れます。
その改築ですが、現在も裏で進行中です。バックドアに入るための階段を作っているそうです。少し広めに作ってちょっとしたテラスっぽくするみたいです。リフォームにやってきたのは中国人たちです。中国からの移民は行く先々にチャイナタウンを作って一大コミュニティを築くので、多くの事が仲間内に依頼することで済んでしまうケースが多いのです。その恩恵で日本食の調味料には事欠かないのですが。
昨日、やはりその中国人達が作業をしているところへ、1人の男が入ってきて何か叫んでいるのが聞こえました。今回の記事で初めてのアメリカ人です。「工事をやめろ! 許可が下りていないぞ!」とか言っているようです。何が起こっているのやらと思って見ていたら、そのアメリカ人が家のドアをノックしてきました。「工事のことで注意をしているんだけど、裏の作業者が誰一人英語喋らないんで埒があかない。大家の電話番号を教えてくれ」ということでした。彼はNew Haven市の建築課のジョンでした。ジョンは大家に電話しましたが応答がなかったようです。
ジョンは再び裏へ行って作業者達と話し始めましたが、まったく話が通じなくて苦戦しているようでした。窓越しに僕の顔を見ると「ちょっとこっちへ来てくれ」と手招きします。なんだなんだと裏へ行ってみると、話が伝わらないから仲介をしてくれということでした。「言いにくいんだけど僕は日本人なんだ…」と言ったら、まるでテレビドラマのように両腕を広げるジェスチャーをして "Oh my god" と言っていました。詳しく話を聞いてみると、問題は今裏ドアを締め切って作業をしているので、一時的に出口が正面口の1つしかない状態で、それが消防法に違反しているのだそうです。そこで、機転を利かせて筆談を試みることにしました。「火災時 不能 out」ちょっと英語がまじりましたが通じました。結局この点については、隠れた部分に勝手口がもう1つついていることを伝えるとOKとなりました。
ジョンにはまだまだ言いたいことがあるようです。使われている釘に錆防止用の亜鉛メッキ加工がなされていない、階段が急過ぎる、木材が薄い、強度に問題が(以下略)。ずっと色々言っていましたが結局僕にもよく分からなかったです。木材が "2 by 12" ならいいが "2 by 10" になっているのが問題なのですが、それが何を意味するのか何度聞いても分からなかったのです。ジョンはサイズの名前だと言うのですが、専門用語でしょうか。
最終的には、ジョンは諦めて帰っていきました。「もういい。何を言っても伝わらない。出直す」もう来ないかもしれません。最後に彼は、「俺はこいつらは建築のいろはを知らないんじゃないかと思うぞ」と言い残していきました。本人の目の前で大声で言っていました。僕は本人に伝わってしまうんじゃないかとヒヤヒヤです。
それで、その晩に気づいたのですが、僕の部屋のドア、ちゃんと閉まりません。どうもドアにペンキがこびりついていて、閂みたいな部分が動かないのが原因です。きっと同じ業者が担当したんだろうと思います。ジョンの言っていることは正しそうです。
少し前の動画ですが、こんなんありましたね。これは中国関係ないかもしれないけど。
今日は作業者もジョンも来ないなぁ。まだ階段がついていないんだけどなぁ。
先日引っ越してきたアパートの大家は中国からの移民夫婦です。彼らはアメリカで学位を取りかなり高級な職に就いているようで(公認会計士と生物系の研究職だったような)、英語もとても達者です。ですが、契約ほぼ決まりの段階でなんと「リフォームしたらとても良い家になったから家賃100ドル上げるけどいい?」と言い出しました。そりゃひでえ。入居の1週間前にそんなこと言われても困ります。結局、これから家を探すのも骨なのでしぶしぶOKしました。言い分は「すごく良い家だから」「この家なら本来はあと500ドル高くても良いくらい」「それで駄目なら1ヶ月猶予を上げるから他を当たって」だそうです。同居人がいるから冷静に対応できたものの、もし1人だったら心折れます。
その改築ですが、現在も裏で進行中です。バックドアに入るための階段を作っているそうです。少し広めに作ってちょっとしたテラスっぽくするみたいです。リフォームにやってきたのは中国人たちです。中国からの移民は行く先々にチャイナタウンを作って一大コミュニティを築くので、多くの事が仲間内に依頼することで済んでしまうケースが多いのです。その恩恵で日本食の調味料には事欠かないのですが。
昨日、やはりその中国人達が作業をしているところへ、1人の男が入ってきて何か叫んでいるのが聞こえました。今回の記事で初めてのアメリカ人です。「工事をやめろ! 許可が下りていないぞ!」とか言っているようです。何が起こっているのやらと思って見ていたら、そのアメリカ人が家のドアをノックしてきました。「工事のことで注意をしているんだけど、裏の作業者が誰一人英語喋らないんで埒があかない。大家の電話番号を教えてくれ」ということでした。彼はNew Haven市の建築課のジョンでした。ジョンは大家に電話しましたが応答がなかったようです。
ジョンは再び裏へ行って作業者達と話し始めましたが、まったく話が通じなくて苦戦しているようでした。窓越しに僕の顔を見ると「ちょっとこっちへ来てくれ」と手招きします。なんだなんだと裏へ行ってみると、話が伝わらないから仲介をしてくれということでした。「言いにくいんだけど僕は日本人なんだ…」と言ったら、まるでテレビドラマのように両腕を広げるジェスチャーをして "Oh my god" と言っていました。詳しく話を聞いてみると、問題は今裏ドアを締め切って作業をしているので、一時的に出口が正面口の1つしかない状態で、それが消防法に違反しているのだそうです。そこで、機転を利かせて筆談を試みることにしました。「火災時 不能 out」ちょっと英語がまじりましたが通じました。結局この点については、隠れた部分に勝手口がもう1つついていることを伝えるとOKとなりました。
ジョンにはまだまだ言いたいことがあるようです。使われている釘に錆防止用の亜鉛メッキ加工がなされていない、階段が急過ぎる、木材が薄い、強度に問題が(以下略)。ずっと色々言っていましたが結局僕にもよく分からなかったです。木材が "2 by 12" ならいいが "2 by 10" になっているのが問題なのですが、それが何を意味するのか何度聞いても分からなかったのです。ジョンはサイズの名前だと言うのですが、専門用語でしょうか。
最終的には、ジョンは諦めて帰っていきました。「もういい。何を言っても伝わらない。出直す」もう来ないかもしれません。最後に彼は、「俺はこいつらは建築のいろはを知らないんじゃないかと思うぞ」と言い残していきました。本人の目の前で大声で言っていました。僕は本人に伝わってしまうんじゃないかとヒヤヒヤです。
それで、その晩に気づいたのですが、僕の部屋のドア、ちゃんと閉まりません。どうもドアにペンキがこびりついていて、閂みたいな部分が動かないのが原因です。きっと同じ業者が担当したんだろうと思います。ジョンの言っていることは正しそうです。
少し前の動画ですが、こんなんありましたね。これは中国関係ないかもしれないけど。
今日は作業者もジョンも来ないなぁ。まだ階段がついていないんだけどなぁ。
長かった夏休みも終わりに近づき、例年どおりやろうと思っていたことの半分も達成できていないことに落胆しています。
思えば旅行三昧でした。関西では大阪・奈良・京都へ再訪問したのに加えて、和歌山県湯浅町へ行ってきました。醤油発祥の地として知る人ぞ知るといった所です。キッコーマンのある野田ではないんですよ。湯浅町・角長のひろみさんが言うには、キッコーマンもヤマサも角長から学んでいったのだそうです。
帰りは東海道を鈍行でゆっくり帰ってきました。途中、滋賀県では東海道本線ではなく湖西線を選択して大分無為な時間を過ごしてしまい(琵琶湖を北から回るルートはちょっと立ち寄って観るという旅には不向きなようです。雨だったし)、近江牛を食べたり彦にゃんに会う計画は崩れてしまいましたが、名古屋では、安旅好きには有名なサラリーマンホテル「松竹梅」に泊まることができました。壁が薄いのでテレビは片耳のイヤホンで聞かなければならず、そんな環境でワールドカップを観戦しました。関東へはあまり展開していない「風来坊」の手羽先とターザン焼(大宮店があるそうです)や、「あつた芳来軒」のひつまぶしを堪能することができました。僕のお子ちゃま口は、きっと親父が名古屋出身であるせいではないでしょうか。
東海道の残りの旅程はほぼ静岡です。静岡は大分広い。残念ながらくっきりとした富士山を見ることは叶いませんでした。熱海はさすがに活況でした。神奈川県に入ってくる頃には、旅の終わりを実感し切ない気持ちになります。
次の行き先は長野です。長野も広い県で、リゾート地の白馬や軽井沢などもありますが、今回は松本と大町へ訪れました。松本はさすがに大きな町で、駅前の雰囲気は名古屋を思わせます。松本城は黒色が渋く、格好いい印象でした。あと、お掘にちゃんと水が張ってあるのが良いですね。安曇野いわさきちひろ美術館を訪れて、2歳半の姪へのお土産に絵本を1冊購入しました。そんなものAmazonで簡単に買えるのに、とは思うのですが、どうも買いたくなってしまっていけないですね。わけあって大町温泉郷で人形劇を観ました。ひょっこりひょうたん島のような人形を動かす人が台の下に隠れているではなくて、黒衣装を着た演者が堂々と舞台に出て喋っているタイプの人形劇で、それでも幼稚園児達がちゃんと人形が主役なんだということを理解しているから偉いなぁ。大町は黒部ダムに近いのですが、時間がないのでダム見学はしませんでした。道中「いわな」と看板を掲げた食堂に立ち寄って食べた岩魚の塩焼きと信州蕎麦は絶品でした。ちなみに往復には新宿・松本間の高速バスを利用しました。
最後に、奥多摩へ行ってきました。東京から行ける最もお手軽な観光地の1つだと思います。西東京市から青梅街道を西へ行けば約1時間で青梅市。山岳の風景が広がります。さらに国道411号を進めば数10分で奥多摩町へ着きます。奥多摩湖をぐるりと半周するドライブコースがあるのですが、途中「奥多摩周遊道路」と呼ばれるライダー達の聖地があります。死亡事故多発地域だそうで、看板には「ここで事故を起こすと救急車到着まで2時間かかります」と脅し文句が書かれています。そんなものにはお構いなしにその日も何台ものライダーに出会いました。僕の車の後ろにつけたバイクは、標準速度で走る僕に嫌気がさしたのか逆方向へ行ってしまいました。月夜見第一駐車場から眺める湖は絶景ですが、それ以上に静けさに驚きます。
日原(にっぱら)という地域は鍾乳洞で有名です。でも日原鍾乳洞の鍾乳洞は、白くないのです。鍾乳石というのは外気に触れると簡単に黒ずんでしまい周囲の石灰岩と見分けがつかなくなってしまうそうです。そういうわけでここを奥多摩3大ガッカリスポットに認定することに決めました。ただの洞窟です。鍾乳洞をきちんと観たい人には、日原鍾乳洞へ向かう途中にある大増(だいます)鍾乳洞がお勧めです。立看板は「驚きの白さ」と洗剤の広告のような胡散臭さですが、小さいながらも白い鍾乳洞を保存しており、かつヒラマミキオ似のお兄さんが詳しく説明してくれるので面白いのです。奥多摩3大穴場スポットに認定です。
駅前の小料理屋「むら喜」が美味しいのは前回に書いたとおり。店主の村木喜美子さんの名刺を頂きましたが、書かれているemailアドレスが携帯のものでだったことに驚きです。メル友になりたいよ。
思えば旅行三昧でした。関西では大阪・奈良・京都へ再訪問したのに加えて、和歌山県湯浅町へ行ってきました。醤油発祥の地として知る人ぞ知るといった所です。キッコーマンのある野田ではないんですよ。湯浅町・角長のひろみさんが言うには、キッコーマンもヤマサも角長から学んでいったのだそうです。
帰りは東海道を鈍行でゆっくり帰ってきました。途中、滋賀県では東海道本線ではなく湖西線を選択して大分無為な時間を過ごしてしまい(琵琶湖を北から回るルートはちょっと立ち寄って観るという旅には不向きなようです。雨だったし)、近江牛を食べたり彦にゃんに会う計画は崩れてしまいましたが、名古屋では、安旅好きには有名なサラリーマンホテル「松竹梅」に泊まることができました。壁が薄いのでテレビは片耳のイヤホンで聞かなければならず、そんな環境でワールドカップを観戦しました。関東へはあまり展開していない「風来坊」の手羽先とターザン焼(大宮店があるそうです)や、「あつた芳来軒」のひつまぶしを堪能することができました。僕のお子ちゃま口は、きっと親父が名古屋出身であるせいではないでしょうか。
東海道の残りの旅程はほぼ静岡です。静岡は大分広い。残念ながらくっきりとした富士山を見ることは叶いませんでした。熱海はさすがに活況でした。神奈川県に入ってくる頃には、旅の終わりを実感し切ない気持ちになります。
次の行き先は長野です。長野も広い県で、リゾート地の白馬や軽井沢などもありますが、今回は松本と大町へ訪れました。松本はさすがに大きな町で、駅前の雰囲気は名古屋を思わせます。松本城は黒色が渋く、格好いい印象でした。あと、お掘にちゃんと水が張ってあるのが良いですね。安曇野いわさきちひろ美術館を訪れて、2歳半の姪へのお土産に絵本を1冊購入しました。そんなものAmazonで簡単に買えるのに、とは思うのですが、どうも買いたくなってしまっていけないですね。わけあって大町温泉郷で人形劇を観ました。ひょっこりひょうたん島のような人形を動かす人が台の下に隠れているではなくて、黒衣装を着た演者が堂々と舞台に出て喋っているタイプの人形劇で、それでも幼稚園児達がちゃんと人形が主役なんだということを理解しているから偉いなぁ。大町は黒部ダムに近いのですが、時間がないのでダム見学はしませんでした。道中「いわな」と看板を掲げた食堂に立ち寄って食べた岩魚の塩焼きと信州蕎麦は絶品でした。ちなみに往復には新宿・松本間の高速バスを利用しました。
最後に、奥多摩へ行ってきました。東京から行ける最もお手軽な観光地の1つだと思います。西東京市から青梅街道を西へ行けば約1時間で青梅市。山岳の風景が広がります。さらに国道411号を進めば数10分で奥多摩町へ着きます。奥多摩湖をぐるりと半周するドライブコースがあるのですが、途中「奥多摩周遊道路」と呼ばれるライダー達の聖地があります。死亡事故多発地域だそうで、看板には「ここで事故を起こすと救急車到着まで2時間かかります」と脅し文句が書かれています。そんなものにはお構いなしにその日も何台ものライダーに出会いました。僕の車の後ろにつけたバイクは、標準速度で走る僕に嫌気がさしたのか逆方向へ行ってしまいました。月夜見第一駐車場から眺める湖は絶景ですが、それ以上に静けさに驚きます。
日原(にっぱら)という地域は鍾乳洞で有名です。でも日原鍾乳洞の鍾乳洞は、白くないのです。鍾乳石というのは外気に触れると簡単に黒ずんでしまい周囲の石灰岩と見分けがつかなくなってしまうそうです。そういうわけでここを奥多摩3大ガッカリスポットに認定することに決めました。ただの洞窟です。鍾乳洞をきちんと観たい人には、日原鍾乳洞へ向かう途中にある大増(だいます)鍾乳洞がお勧めです。立看板は「驚きの白さ」と洗剤の広告のような胡散臭さですが、小さいながらも白い鍾乳洞を保存しており、かつヒラマミキオ似のお兄さんが詳しく説明してくれるので面白いのです。奥多摩3大穴場スポットに認定です。
駅前の小料理屋「むら喜」が美味しいのは前回に書いたとおり。店主の村木喜美子さんの名刺を頂きましたが、書かれているemailアドレスが携帯のものでだったことに驚きです。メル友になりたいよ。
少し奥多摩からは離れますが青梅の沢井というところに、「澤乃井」で知られる小澤酒造があり、酒蔵見学ができます。この地域は酒蔵が密集している地域ではなく、兵庫の灘とは違って酒蔵巡りとはいきませんが、味では負けていないのではないでしょうか。近辺の料理屋のお酒はほぼ澤乃井一択です。我が家では日本酒より焼酎派が多いので、澤乃井ブランド唯一の焼酎「武州伝説」をお土産に買って帰りました。酒作りには米の中心部の純粋なでんぷん質のみを使い、周囲は削り取ってしまうのですが、その周囲の部分を使って焼酎を作るのだそうです。エコですね。
森という字は「木」を3つ並べてできていますが、同じ配置で「七」を3つ並べた漢字を知っていますか? 「喜」の当て字なのだそうです。
JR奥多摩駅のすぐ近くに「おくたまの味 むら喜」(喜は「七」を3つの字)という小料理屋があります。恥ずかしながら、はじめは「口」が3つ並んでいるものと勘違いして「むらしな」なんて呼んでいましたが、「むらき」さんです。店主の名前が村木喜美子さんとおっしゃるのでそこが由来でしょう。先日奥多摩を旅行した際に立ち寄らせていただきました。
久しぶりにめちゃめちゃ旨いものを食ったと思いました。なかでも、大和芋のお好み焼きが絶品でした。小麦粉は使っていないのだそうです。じゃが芋の天ぷらも美味しかった。お酒はもちろん地元青梅・小澤酒造の「澤乃井」です。今回は冷酒で頂きましたが、岩魚酒という、よく焼いた岩魚を入れた熱燗も試してみれば良かった。河豚のひれ酒に似た風味だろうか。山の方の川魚は反則的に旨い。
店内5席ほどの小さなお店ですが、奥多摩へ行く機会があれば、是非。
JR奥多摩駅のすぐ近くに「おくたまの味 むら喜」(喜は「七」を3つの字)という小料理屋があります。恥ずかしながら、はじめは「口」が3つ並んでいるものと勘違いして「むらしな」なんて呼んでいましたが、「むらき」さんです。店主の名前が村木喜美子さんとおっしゃるのでそこが由来でしょう。先日奥多摩を旅行した際に立ち寄らせていただきました。
久しぶりにめちゃめちゃ旨いものを食ったと思いました。なかでも、大和芋のお好み焼きが絶品でした。小麦粉は使っていないのだそうです。じゃが芋の天ぷらも美味しかった。お酒はもちろん地元青梅・小澤酒造の「澤乃井」です。今回は冷酒で頂きましたが、岩魚酒という、よく焼いた岩魚を入れた熱燗も試してみれば良かった。河豚のひれ酒に似た風味だろうか。山の方の川魚は反則的に旨い。
店内5席ほどの小さなお店ですが、奥多摩へ行く機会があれば、是非。
先月11日に授業用の論文を8月2日までに書き直して再提出せよというemailを教官から受け取り狼狽しました。というのも彼の口ぶりが、もともと再提出しなければ単位要件を満たさないって言ってあっただろうという様子だったからです。こちらとしてはもう単位をもらった気でいたので、嫌な汗をぶわっとかきました。
確かに1度目の提出後に受け取ったコメントを眺めてみると、「~を改善すれば講義の要求するレベルを満足するだろう」と書いてありました。ですが、ここから「したがって書き直して再提出せよ」というメッセージを察知できなかったのです。もしこれを察知していたならW杯の合間を縫ってちゃくちゃくと筆を進めていただろうに、またもや突貫工事をする羽目になりました。
そういうわけで先週書き直して提出しました。こういう課題は気が滅入るものです。ちゃんと物事をこなしている人たちはとっくに済ませているのだと思うと自己嫌悪になりますし、たとえこの課題を終わらせても他人に先んじることにはならないのだと思うとモチベーションも上がってきません。兎にも角にも、先週終わらせたのです。
今日その先生から届いたemailを読んでみますと「8月2日が締切りであることを再度伝える(すでに6人の生徒は提出済みである)」とあります。どうやら再提出が延び延びになっていたのは僕の他にも沢山いるようです。ここまでくると、もはやこれは教授の不備であると言わざるを得ません。
確かに1度目の提出後に受け取ったコメントを眺めてみると、「~を改善すれば講義の要求するレベルを満足するだろう」と書いてありました。ですが、ここから「したがって書き直して再提出せよ」というメッセージを察知できなかったのです。もしこれを察知していたならW杯の合間を縫ってちゃくちゃくと筆を進めていただろうに、またもや突貫工事をする羽目になりました。
そういうわけで先週書き直して提出しました。こういう課題は気が滅入るものです。ちゃんと物事をこなしている人たちはとっくに済ませているのだと思うと自己嫌悪になりますし、たとえこの課題を終わらせても他人に先んじることにはならないのだと思うとモチベーションも上がってきません。兎にも角にも、先週終わらせたのです。
今日その先生から届いたemailを読んでみますと「8月2日が締切りであることを再度伝える(すでに6人の生徒は提出済みである)」とあります。どうやら再提出が延び延びになっていたのは僕の他にも沢山いるようです。ここまでくると、もはやこれは教授の不備であると言わざるを得ません。
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