Yaleで、遊んで学ぶ日々。
Yaleで、遊んで学ぶ日々。
囲碁、ときどきプログラミング、ところにより経済。
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この夏のもう1つのイベントは、国際法模擬裁判大会 Asia Cup Japan Round の裁判官(審査員)を務めるというもの。僕はこの大会のOBで、学部生時代に出場経験がある。卒業後に大学院生になったり法律関係の仕事に就いたりしていると、裁判官役が回ってきたりする。今回で2年ぶり3回目である。
少しばかり宣伝しておくと、この大会では架空の2国間での法的な国際紛争が発生し、その紛争が国際司法裁判所へ持ち込まれたという問題が与えられる。で、原告・被告それぞれの代理人という立場に立ってどういう主張を展開するか、という形で競い合うのである。詳しくは、数年前に書いた紹介文がまだweb上に残っているのでそちらを参照のこと。準備書面および弁論で勝敗を決するのだけど、大学院生に回ってくるのは弁論の審査である。原告・被告がそれぞれ弁論するのだけど、ディベートのように両陣営が議論を戦わせるというよりは、裁判官に向かって法的な理由付けを説明し、どちらがより説得的であったかが審査されるという形で、口頭試問に近い。弁論中には裁判官が弁論者に対して問いを投げかけるので、それらに対してどれだけ適切に答えきることができるかで評価が決まる。
自分が出場したのは2003年なので、もう6年も前か。当時の自分を思い返せば恥ずかしくて偉そうなことも言えないのだけど、やはりプレゼンテーションのスキルがもう1つかな、という印象をもった。本来、弁論は自由で、審査する裁判官を説得するために最良なものを自分で決めてよいはずなのだけれど、どうも「国際法模擬裁判用の弁論のしかた」みたいなものが染み付いているようだ。定型の弁論をすると最低限の体裁をつけるこができて、模擬裁判における最もシンプルな手段ではあるのだけど、より良い弁論がというのは別に必ずあるはずである。自分なりのアレンジをする場合に大切なのは、審査員と同じ視野・問題意識に立つということだ。視野を共有さえできれば、形はどうあれ議論を理解しあうことができる。自分が最も説得力があると思える弁論のしかたを選んで問題ない。視野の共有に必要なのは、審査側と同程度以上に問題を理解することだ。そういう意味で、この模擬裁判におけるプレゼンテーションの技術は結局のところ理論の理解度に負うところが大きい。質問に対する瞬発力や言葉遣いの上手さは、深い理解があってはじめて生きてくる。
専門分野が法学でないにも関わらず、いまだに声をかけてくれるのはとてもありがたい。経済学と法学のオーバーラップとしては、「法と経済学 (Law and Economics, Economics of Law)」というのが確立されているけど、これは主として制度設計に関する話で、国際法(ここでは国際公法を指す)への適用には直接関係がない。法と経済学で主に考えられているのは、法律を国家権力により裁判・行政措置を通じて履行される資源配分とみなし、どのような配分のもとで各人の望ましい行動が誘導されるか、という問いで、よく使われるツールはゲーム理論である。ゲーム理論では、各人の行動(action)と、行動に応じて決まる結果(payoff)が与えられた状況下での行動選択(strategy, behavior)を理論化するので、ぴったり当てはまるわけである。つまり、ある行動に対してどのような結果を付与するか、というゲームの構造が法律に該当する。
国際法に直接適用できない最大の理由は、その法律を履行する権力主体が存在しないことだ。世界政府のようなものが存在しないので、各国家に対し強制的に何かを履行することができない。国際法の履行は、大抵国家群の共同行動による自主的なものである。経済制裁や武力行使がそれに該当して、法による支配とは質的に異なる。違反する主体と裁く主体が対等関係にあるのである。
で、支配主体が存在しない状況もゲーム理論による記述は可能である。協力関係の自主履行(self enforcement)に関する議論がそれで、典型的な例は企業間の共同での価格引き上げなどだ。同じ産業に属する企業が共同して価格を引き上げる約束をした場合、これはカルテル行為に該当し、独占禁止法違反になる。一企業が約束を反故にして価格を据え置いたとしても、他の企業は契約違反として訴えることはできない。公序良俗に反する契約として無効扱いになるためである。したがって、法による履行が得られないため、その約束の履行は専ら自主履行によることになる。
ゲーム理論がこうした契約関係の成立に対して与える理由付けは、長期的な協力関係だ。1度約束に反して低価格をつけると、一時的には他社から需要を奪うことができるが、その後はカルテルを組むことが難しくなり厳しい価格競争さらされることとなるので、長期的な視野から協力(共謀)するという理屈である。国際関係にもそのアナロジーが適用できる。勝手な行動を取り続けているとか他国から制裁をうける恐れがあるので、国家は強制主体がいないにも関わらず国際法を自主的に遵守する。では何故遵守しない国家が未だに存在するのか? もちろん自主履行可能な契約とそうでない契約がありうる。その基準の理解こそが、研究課題になる。トリビアルな説明は、制裁措置の有効性や、違反から得られる利益の高さなどだろうか。
国際法をこういうふうに捉えると、どうもいわゆる国際関係(international relation)と呼ばれる分野との差異がないように思える。実際リアリスティックな発想で考える限りは両者に違いはないと僕は思っている。経済学はそれ自体が相当にリアリスティックな学問なのである。
と、いうような研究は今のところ一部の国際法学者が関心持ち始めたところのようである。国際法専攻の友人が紹介してくれたのはGoldsmith and Posner による本。University of Illinois Law Reviewの2008年1号では特集が組まれたらしい。この分野を博士論文のテーマにするかどうかは現在思案中。
少しばかり宣伝しておくと、この大会では架空の2国間での法的な国際紛争が発生し、その紛争が国際司法裁判所へ持ち込まれたという問題が与えられる。で、原告・被告それぞれの代理人という立場に立ってどういう主張を展開するか、という形で競い合うのである。詳しくは、数年前に書いた紹介文がまだweb上に残っているのでそちらを参照のこと。準備書面および弁論で勝敗を決するのだけど、大学院生に回ってくるのは弁論の審査である。原告・被告がそれぞれ弁論するのだけど、ディベートのように両陣営が議論を戦わせるというよりは、裁判官に向かって法的な理由付けを説明し、どちらがより説得的であったかが審査されるという形で、口頭試問に近い。弁論中には裁判官が弁論者に対して問いを投げかけるので、それらに対してどれだけ適切に答えきることができるかで評価が決まる。
自分が出場したのは2003年なので、もう6年も前か。当時の自分を思い返せば恥ずかしくて偉そうなことも言えないのだけど、やはりプレゼンテーションのスキルがもう1つかな、という印象をもった。本来、弁論は自由で、審査する裁判官を説得するために最良なものを自分で決めてよいはずなのだけれど、どうも「国際法模擬裁判用の弁論のしかた」みたいなものが染み付いているようだ。定型の弁論をすると最低限の体裁をつけるこができて、模擬裁判における最もシンプルな手段ではあるのだけど、より良い弁論がというのは別に必ずあるはずである。自分なりのアレンジをする場合に大切なのは、審査員と同じ視野・問題意識に立つということだ。視野を共有さえできれば、形はどうあれ議論を理解しあうことができる。自分が最も説得力があると思える弁論のしかたを選んで問題ない。視野の共有に必要なのは、審査側と同程度以上に問題を理解することだ。そういう意味で、この模擬裁判におけるプレゼンテーションの技術は結局のところ理論の理解度に負うところが大きい。質問に対する瞬発力や言葉遣いの上手さは、深い理解があってはじめて生きてくる。
専門分野が法学でないにも関わらず、いまだに声をかけてくれるのはとてもありがたい。経済学と法学のオーバーラップとしては、「法と経済学 (Law and Economics, Economics of Law)」というのが確立されているけど、これは主として制度設計に関する話で、国際法(ここでは国際公法を指す)への適用には直接関係がない。法と経済学で主に考えられているのは、法律を国家権力により裁判・行政措置を通じて履行される資源配分とみなし、どのような配分のもとで各人の望ましい行動が誘導されるか、という問いで、よく使われるツールはゲーム理論である。ゲーム理論では、各人の行動(action)と、行動に応じて決まる結果(payoff)が与えられた状況下での行動選択(strategy, behavior)を理論化するので、ぴったり当てはまるわけである。つまり、ある行動に対してどのような結果を付与するか、というゲームの構造が法律に該当する。
国際法に直接適用できない最大の理由は、その法律を履行する権力主体が存在しないことだ。世界政府のようなものが存在しないので、各国家に対し強制的に何かを履行することができない。国際法の履行は、大抵国家群の共同行動による自主的なものである。経済制裁や武力行使がそれに該当して、法による支配とは質的に異なる。違反する主体と裁く主体が対等関係にあるのである。
で、支配主体が存在しない状況もゲーム理論による記述は可能である。協力関係の自主履行(self enforcement)に関する議論がそれで、典型的な例は企業間の共同での価格引き上げなどだ。同じ産業に属する企業が共同して価格を引き上げる約束をした場合、これはカルテル行為に該当し、独占禁止法違反になる。一企業が約束を反故にして価格を据え置いたとしても、他の企業は契約違反として訴えることはできない。公序良俗に反する契約として無効扱いになるためである。したがって、法による履行が得られないため、その約束の履行は専ら自主履行によることになる。
ゲーム理論がこうした契約関係の成立に対して与える理由付けは、長期的な協力関係だ。1度約束に反して低価格をつけると、一時的には他社から需要を奪うことができるが、その後はカルテルを組むことが難しくなり厳しい価格競争さらされることとなるので、長期的な視野から協力(共謀)するという理屈である。国際関係にもそのアナロジーが適用できる。勝手な行動を取り続けているとか他国から制裁をうける恐れがあるので、国家は強制主体がいないにも関わらず国際法を自主的に遵守する。では何故遵守しない国家が未だに存在するのか? もちろん自主履行可能な契約とそうでない契約がありうる。その基準の理解こそが、研究課題になる。トリビアルな説明は、制裁措置の有効性や、違反から得られる利益の高さなどだろうか。
国際法をこういうふうに捉えると、どうもいわゆる国際関係(international relation)と呼ばれる分野との差異がないように思える。実際リアリスティックな発想で考える限りは両者に違いはないと僕は思っている。経済学はそれ自体が相当にリアリスティックな学問なのである。
と、いうような研究は今のところ一部の国際法学者が関心持ち始めたところのようである。国際法専攻の友人が紹介してくれたのはGoldsmith and Posner による本。University of Illinois Law Reviewの2008年1号では特集が組まれたらしい。この分野を博士論文のテーマにするかどうかは現在思案中。
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米国に滞在して1年、色んなところを旅行した。以前はそんなに旅行が好きってわけでもなかったんだけど、ネットで情報集めて計画を立てて知らないところに行くっていうのは面白い。そんな中、頭に浮かんだのが、「日本国内旅行もめっちゃ楽しいはず」ということ。夏休みはがっつり西日本の旅を楽しんだ。
今回の行き先は京都・大阪・奈良・伊勢志摩・広島・神戸。四国と九州は次の機会に。京都では、宝泉寺という禅寺で3泊4日の修行をした。何か得られるはず、という曖昧な期待を胸に入山する。大阪在住の友人2人を誘って一緒に行った。行ってみると、団体で来ている人は他にはいなかったから、イロモノ集団と見られていたのかもしれない。
スケジュールは、朝5時半起床、太極拳で体を目覚めさせたあと朝の座禅。それから朝食。食事の後は作務を行い、昼食。お昼は4時間ほど自由時間でその後夕飯。最後に夜の座禅・読経をして10時に就寝。
朝食と夕飯は作法に則っていただく。セルフサービスで自分の食べる分だけ取る。お残しは許されないのでほどほどにする。また、食事中は正座で、全員が食べ終わるまで待たなければいけないので、僕は食事が早く終わるようにさらに控えめにした。皆が終わってもなお食べている人がいると恨めしい気持ちになる。俺の煩悩。食事中は音を立ててはいけない(ことになっている)。実際は器のぶつかる音がカツカツと聞こえるけど、会話はない。最後にお湯と沢庵で器を洗う。これは聞いたことがあったけど、これじゃあんまり奇麗にはならないね。長期滞在者は週1くらいで洗剤で洗いなおしてるのだろうか。
正座には裏技が許されていて、2つに折った座布団を腿の裏に挟むと大分楽になる。体が硬いし、左膝の手術をしたこともあって、この技なしにはやっていけなかった。
座禅は、朝25分×2本、夜25分×3本行う。座禅用の座布団というのがあってその上に座り腰を高くし、両膝を地につける。座禅中は動いてはいけない。薄暗く、静寂の中で虫の音だけが聞こえ、線香の匂い(線香で時間を計る)が漂っていると、何とも考え事にふけるには最適なんだけど、それは本旨ではない。何も考えない、というのが座禅。副住職さんは、自分の呼吸だけに集中するように、とアドバイスをしてくれた。「呼吸の数を数える」とも言っていたけど、それやると寝ちゃいそうになる。だから奥が深いというか、簡単にはたどり着けない境地ってのがあるんじゃないかと思えてくる。とはいえ、その境地にたどり着いている人ばかりじゃなくて、寝ている人や体をもじもじさせている人を見かけたりして、ほっこりした。
作務は結局1度しかするチャンスがなかったんだけど(1日目は午後入山、3日目は写経、4日目は作務の前に下山というスケジュールなので2日目のみ)、僕は掃除でも畑仕事でもなく昼食の準備に志願した。寺の料理ってやつに興味があったのだ。さてどんな精進料理を作るんだ、と思っていたら昼食は精進料理じゃないんだそうだ。これはこの寺独自のルール。良くも悪くも初心者向けということだろうか。漬物や煮物の残りを全部使って、春雨サラダを作るよう指示された。春雨サラダは初めてだったので、一緒に来た友人らに「春雨サラダの味付けって何が合うかな」と休憩時間に聞いた。そしたら「森君が生まれて初めて作る春雨サラダが昼食に出るらしい」という噂が全員に広まってしまって逆にプレッシャーがかかった。不安がっていたら、一緒に昼食担当だった潜龍さん(漢字あってたかな)というお坊さんに、「どんな食事でも全部食べきるのが寺のルールだから大丈夫」と励まされた。フォローになってない。用意された野菜をがっと全部入れてポン酢とごま油で和えたらなんかそれなりの味になった。これは今後276 Prospect St. meal planに加えることにしよう。
潜龍さんは、副住職がいない時は座禅を仕切る人で、座禅中は雰囲気があって近寄りがたい。はじめは、この人が料理をしていた人と同じ人とは思ってなかった。それくらい違う。話してみるととても柔和で気さくな人で、「僕はまだ修行中の偽坊主ですから」なんて言っていた。好意と敬意を表して、帰ってから始めたDQ3のパーティに僧侶として参加してもらった。
座禅は、やっぱりつらい。眠気は大丈夫だったけど足が痛いのが何とも。体が硬いのが原因かとも思ったけどたとえ柔らかくても長時間同じ姿勢を保っていると痺れる。調子のいい時で大体10分くらいでヤバイって感じになって残り時間をどう紛らわせていくかを考えていた(本当は頭を空っぽにしないと駄目なんだけど)。コンディションが悪いと開始直後から足が痛い。でも、いい座禅をしたな、って思う瞬間もある。ふっと気がつくと「今すごい集中してた」って思うのだ。つまりその瞬間に集中は途切れちゃったわけなんだけど、それが25分とかそれ以上続けられたら、さらにそれを毎朝毎晩していたら、と想像すると、まぁ想像は絶するんだけどそこには何かがあるような気がする。
友人が潜龍さんと座禅について話をしたらしいのだけど、彼でも「もう無理って時あります」だってさ。宝泉寺で一緒になった方の話によると、潜龍さん、足が痺れちゃって大変だった時もあったらしい。だからって笑って誤魔化したりするでもなく、そのまま続ける。プロってそういうものなんだよね。「逆に」を狙うのは美しくない。お寺の生活のなかにある価値観は、どれも真っ直ぐだった。戦略上、せんりうさんはその後悟りを開かずに転職し、ベホマを唱える戦士として活躍しています。現実の世界では悟りを開いて般若心経を唱えて欲しいものです。
4日目、朝食を終えると、正座と座禅からの開放感が身にしみた。一緒になった修行者やスタッフの皆さんと合掌写真を撮って下山した。
その後トロッコ列車に乗って京都市内へ行って、作務衣のまま観光した。夕暮れ時、友人らと3人で鴨川沿いに座ってぼんやりしていたら、誰の発案だったか川を眺めながら座禅をしようということになった。寺では畳の目を見ながらだったけど、今度は川の流れを見ながら。無理せず5分だけ。でも今までで一番気持ちのいい5分間の座禅だった。京都の川べりで作務衣姿で座禅をする3人組は、観光客にパシャパシャと写真を撮られた。正真正銘の偽坊主である。
初日はこんな生活4日ももたないよって思っていたんだけど、不思議なもので今、新学期を目前にして思い返すとあぁ良かったな、なんて思う。座禅っていうのは、生産活動じゃないんだ。機会費用がかかっている。食事の作法にしても、楽な姿勢で喋りながら食べたほうが楽しいかもしれない。果たして何なんだろう、この無駄の価値は。Economicsにこれを解き明かす力は今のところなさそうである。しかし、Economistはこれを認識しなくてはいけない。
今回の行き先は京都・大阪・奈良・伊勢志摩・広島・神戸。四国と九州は次の機会に。京都では、宝泉寺という禅寺で3泊4日の修行をした。何か得られるはず、という曖昧な期待を胸に入山する。大阪在住の友人2人を誘って一緒に行った。行ってみると、団体で来ている人は他にはいなかったから、イロモノ集団と見られていたのかもしれない。
スケジュールは、朝5時半起床、太極拳で体を目覚めさせたあと朝の座禅。それから朝食。食事の後は作務を行い、昼食。お昼は4時間ほど自由時間でその後夕飯。最後に夜の座禅・読経をして10時に就寝。
朝食と夕飯は作法に則っていただく。セルフサービスで自分の食べる分だけ取る。お残しは許されないのでほどほどにする。また、食事中は正座で、全員が食べ終わるまで待たなければいけないので、僕は食事が早く終わるようにさらに控えめにした。皆が終わってもなお食べている人がいると恨めしい気持ちになる。俺の煩悩。食事中は音を立ててはいけない(ことになっている)。実際は器のぶつかる音がカツカツと聞こえるけど、会話はない。最後にお湯と沢庵で器を洗う。これは聞いたことがあったけど、これじゃあんまり奇麗にはならないね。長期滞在者は週1くらいで洗剤で洗いなおしてるのだろうか。
正座には裏技が許されていて、2つに折った座布団を腿の裏に挟むと大分楽になる。体が硬いし、左膝の手術をしたこともあって、この技なしにはやっていけなかった。
座禅は、朝25分×2本、夜25分×3本行う。座禅用の座布団というのがあってその上に座り腰を高くし、両膝を地につける。座禅中は動いてはいけない。薄暗く、静寂の中で虫の音だけが聞こえ、線香の匂い(線香で時間を計る)が漂っていると、何とも考え事にふけるには最適なんだけど、それは本旨ではない。何も考えない、というのが座禅。副住職さんは、自分の呼吸だけに集中するように、とアドバイスをしてくれた。「呼吸の数を数える」とも言っていたけど、それやると寝ちゃいそうになる。だから奥が深いというか、簡単にはたどり着けない境地ってのがあるんじゃないかと思えてくる。とはいえ、その境地にたどり着いている人ばかりじゃなくて、寝ている人や体をもじもじさせている人を見かけたりして、ほっこりした。
作務は結局1度しかするチャンスがなかったんだけど(1日目は午後入山、3日目は写経、4日目は作務の前に下山というスケジュールなので2日目のみ)、僕は掃除でも畑仕事でもなく昼食の準備に志願した。寺の料理ってやつに興味があったのだ。さてどんな精進料理を作るんだ、と思っていたら昼食は精進料理じゃないんだそうだ。これはこの寺独自のルール。良くも悪くも初心者向けということだろうか。漬物や煮物の残りを全部使って、春雨サラダを作るよう指示された。春雨サラダは初めてだったので、一緒に来た友人らに「春雨サラダの味付けって何が合うかな」と休憩時間に聞いた。そしたら「森君が生まれて初めて作る春雨サラダが昼食に出るらしい」という噂が全員に広まってしまって逆にプレッシャーがかかった。不安がっていたら、一緒に昼食担当だった潜龍さん(漢字あってたかな)というお坊さんに、「どんな食事でも全部食べきるのが寺のルールだから大丈夫」と励まされた。フォローになってない。用意された野菜をがっと全部入れてポン酢とごま油で和えたらなんかそれなりの味になった。これは今後276 Prospect St. meal planに加えることにしよう。
潜龍さんは、副住職がいない時は座禅を仕切る人で、座禅中は雰囲気があって近寄りがたい。はじめは、この人が料理をしていた人と同じ人とは思ってなかった。それくらい違う。話してみるととても柔和で気さくな人で、「僕はまだ修行中の偽坊主ですから」なんて言っていた。好意と敬意を表して、帰ってから始めたDQ3のパーティに僧侶として参加してもらった。
座禅は、やっぱりつらい。眠気は大丈夫だったけど足が痛いのが何とも。体が硬いのが原因かとも思ったけどたとえ柔らかくても長時間同じ姿勢を保っていると痺れる。調子のいい時で大体10分くらいでヤバイって感じになって残り時間をどう紛らわせていくかを考えていた(本当は頭を空っぽにしないと駄目なんだけど)。コンディションが悪いと開始直後から足が痛い。でも、いい座禅をしたな、って思う瞬間もある。ふっと気がつくと「今すごい集中してた」って思うのだ。つまりその瞬間に集中は途切れちゃったわけなんだけど、それが25分とかそれ以上続けられたら、さらにそれを毎朝毎晩していたら、と想像すると、まぁ想像は絶するんだけどそこには何かがあるような気がする。
友人が潜龍さんと座禅について話をしたらしいのだけど、彼でも「もう無理って時あります」だってさ。宝泉寺で一緒になった方の話によると、潜龍さん、足が痺れちゃって大変だった時もあったらしい。だからって笑って誤魔化したりするでもなく、そのまま続ける。プロってそういうものなんだよね。「逆に」を狙うのは美しくない。お寺の生活のなかにある価値観は、どれも真っ直ぐだった。戦略上、せんりうさんはその後悟りを開かずに転職し、ベホマを唱える戦士として活躍しています。現実の世界では悟りを開いて般若心経を唱えて欲しいものです。
4日目、朝食を終えると、正座と座禅からの開放感が身にしみた。一緒になった修行者やスタッフの皆さんと合掌写真を撮って下山した。
その後トロッコ列車に乗って京都市内へ行って、作務衣のまま観光した。夕暮れ時、友人らと3人で鴨川沿いに座ってぼんやりしていたら、誰の発案だったか川を眺めながら座禅をしようということになった。寺では畳の目を見ながらだったけど、今度は川の流れを見ながら。無理せず5分だけ。でも今までで一番気持ちのいい5分間の座禅だった。京都の川べりで作務衣姿で座禅をする3人組は、観光客にパシャパシャと写真を撮られた。正真正銘の偽坊主である。
初日はこんな生活4日ももたないよって思っていたんだけど、不思議なもので今、新学期を目前にして思い返すとあぁ良かったな、なんて思う。座禅っていうのは、生産活動じゃないんだ。機会費用がかかっている。食事の作法にしても、楽な姿勢で喋りながら食べたほうが楽しいかもしれない。果たして何なんだろう、この無駄の価値は。Economicsにこれを解き明かす力は今のところなさそうである。しかし、Economistはこれを認識しなくてはいけない。
今回の帰国の楽しみの1つは、1歳半になる妹の子供に会うことだ(妹ではなく、妹の子供が1歳半)。何も分からないのをいいことにYale Bulldogsの背番号1とプリントされたシャツを着せて写真を撮ったりして遊んだ。昨年はまだまだ人見知りがひどくて、まったく相手をしてもらえなかったんだけど、今回は向こうからトテトテ歩いてきたりするくらいまで関係が改善された。伯父ちゃんというのはいいポジションである。遊んでいるだけで、オムツを変えたりしなくていい。
ある日、妹に大事な用事があり、旦那も平日なので仕事があるという日に、数時間の子守を頼まれた。そういうわけで、母(つまり祖母)と2人で表参道こどもの城へ行ったわけである。最初は大変ご機嫌な様子で、ママと知らないオッサンとオバサンとお出かけだと思っていたらしい。そんな楽しい時間は長くは続かず、別れの瞬間が訪れる。娘を母に預けると妹は颯爽と渋谷駅へ歩いていった。そしたらもう大泣きしてしまって。個人差があるらしいけど、この子はママにべったりってタイプらしい。「どうせ離れていくんだからべったりなうちはべったりさせてあげればいいのよ」というのが母の言葉。
こどもの城に入る。この施設は、赤ん坊から小学生くらいまでを対象にしているようで、フロアごとの対象年齢が違う。とりあえず半年から2歳くらいを対象にした部屋に行ってみる。場違いだった。部屋には赤ん坊と若いお母さんがあふれ返っていて、伯父と祖母なんて奇妙な取り合わせは他には1組も見当たらない。相変わらずここでもうちの子は泣き続けている。こんなに沢山若くて綺麗なお母さんが回りにいるんだから我慢してくれないものだろうか。
もう少し対象年齢が上の遊び場へ行く。柔らかい大きな積み木のようなのが置いてある空間。回りの子達ははしゃいでいるんだけど、うちの子は「あんたらはいいわね、悩みがなくて」って感じで眺めている。母親と生き別れたばかりの彼女はそんな子供っぽいもので遊んでいる場合じゃないらしい。母(つまり祖母)が抱くと泣くようになってしまった。ママと引き離した張本人、悪の権化と認識しているらしい。そういうわけで僕が抱きかかえる役になった。
抱っこしているとこの子、「あっちへ行け」とばかりに指をさすのである。結構ありえない方向(STAFF ONLYと書いてあったり、非常用の階段だったり)を指差す。行き止まりだったり何もない空間に行き着いたりすると、大泣きする。これはどうやらママ探しをしているらしい。こっちじゃないならあっちだ、と今度は別の方向を指差す。で、結局いないので泣く。別のフロアへ連れて行くと目を輝かせて指示を出す。まるで新しいダンジョンを見つけた時のよう。その机の陰に、壁の後ろに、と見える範囲しらみつぶしに探す。探している間は泣かない。意志の強い子になるんじゃないかな。
数時間後、妹が戻ってきた。感動の再開。大冒険の日だったね。振る舞いを見ていると、どうも自分の力でママを見つけ出したと思っている節があるんだけど。
ある日、妹に大事な用事があり、旦那も平日なので仕事があるという日に、数時間の子守を頼まれた。そういうわけで、母(つまり祖母)と2人で表参道こどもの城へ行ったわけである。最初は大変ご機嫌な様子で、ママと知らないオッサンとオバサンとお出かけだと思っていたらしい。そんな楽しい時間は長くは続かず、別れの瞬間が訪れる。娘を母に預けると妹は颯爽と渋谷駅へ歩いていった。そしたらもう大泣きしてしまって。個人差があるらしいけど、この子はママにべったりってタイプらしい。「どうせ離れていくんだからべったりなうちはべったりさせてあげればいいのよ」というのが母の言葉。
こどもの城に入る。この施設は、赤ん坊から小学生くらいまでを対象にしているようで、フロアごとの対象年齢が違う。とりあえず半年から2歳くらいを対象にした部屋に行ってみる。場違いだった。部屋には赤ん坊と若いお母さんがあふれ返っていて、伯父と祖母なんて奇妙な取り合わせは他には1組も見当たらない。相変わらずここでもうちの子は泣き続けている。こんなに沢山若くて綺麗なお母さんが回りにいるんだから我慢してくれないものだろうか。
もう少し対象年齢が上の遊び場へ行く。柔らかい大きな積み木のようなのが置いてある空間。回りの子達ははしゃいでいるんだけど、うちの子は「あんたらはいいわね、悩みがなくて」って感じで眺めている。母親と生き別れたばかりの彼女はそんな子供っぽいもので遊んでいる場合じゃないらしい。母(つまり祖母)が抱くと泣くようになってしまった。ママと引き離した張本人、悪の権化と認識しているらしい。そういうわけで僕が抱きかかえる役になった。
抱っこしているとこの子、「あっちへ行け」とばかりに指をさすのである。結構ありえない方向(STAFF ONLYと書いてあったり、非常用の階段だったり)を指差す。行き止まりだったり何もない空間に行き着いたりすると、大泣きする。これはどうやらママ探しをしているらしい。こっちじゃないならあっちだ、と今度は別の方向を指差す。で、結局いないので泣く。別のフロアへ連れて行くと目を輝かせて指示を出す。まるで新しいダンジョンを見つけた時のよう。その机の陰に、壁の後ろに、と見える範囲しらみつぶしに探す。探している間は泣かない。意志の強い子になるんじゃないかな。
数時間後、妹が戻ってきた。感動の再開。大冒険の日だったね。振る舞いを見ていると、どうも自分の力でママを見つけ出したと思っている節があるんだけど。
日本に帰国してすぐみずほ銀行の口座をチェック。20万くらい入ってたような気がしていたけど意外にも50万入っててほくほくする。で、今日もう1回見たら30万に減っている。何事かと思ったら、もともと50万じゃなくて5万だったらしい。ゼロ1個見間違えた。
日雇い!! 日雇いィー!!!
【後日談】
どうも計算が合わないなと思って過去の入出金記録を見てみたところ、どうも例の弁護士費用のせいだったみたい。20万のつもりが5万になってたわけなので、計算ぴったり。
日雇い!! 日雇いィー!!!
【後日談】
どうも計算が合わないなと思って過去の入出金記録を見てみたところ、どうも例の弁護士費用のせいだったみたい。20万のつもりが5万になってたわけなので、計算ぴったり。
帰国の飛行機は朝10時にNew York JFK空港を発つ。国際線は2時間前に間に合わせるのが相場で、そこから逆算すると朝6時にはNew Havenを出る必要がある。いきなり誤算である。
Connecticutt Limo という乗り合いバスを予約してある。朝4時45分の便だ。Yale割引をつけて往復85USD+tip だから、悪くない。電車で行っても運賃はそれぐらいになる。車で行くと往復のgasとtollでやはり近い金額がかかる。朝4時まだ真っ暗な中を徒歩でPhelps Gateという発着点へ向かう。真夜中に大荷物を抱えてNew Havenを歩くのはかなりのギャンブルだったが、無事勝利する。着いてしまえば、Phelps GateはYaleのSecurity Officeのある場所で、最も安全な場所の1つだ。
4時30分になる。バスはおろか他の乗客らしき人も一人としていない。予約した4時45分になる。来ねえ。不安に駆られて予約表を何度も確認しなおす。06/30/09 4:45AM...間違いない。前回はAMとPMを間違えてえらい目にあったが今回は大丈夫。まさか06年の9月30日ってことは…などと無駄なことを考える(日付を表すのに、mm/dd/yy または dd/mm/yy 以外は見たことがない)。Connecticutt Limoに電話をかけてみる。サービス時間外で音声ガイダンスのみだ。「…you should be at the departure location at least 15 minutes prior to the designated time…」 こっちの台詞である。Security Officeの人に尋ねてみると、乗り合いバスは”typically 5 mininuts late”だから心配するな、とのこと。
そこへタクシーが通りすがる。
タクシー運転手「乗っていかないか?」
僕「Limoを待ってるんだ」
タ「でも俺も同じ場所へつれてってやることができるぜ」 そりゃそうだけど。タクシーで行くと片道で120ドルくらいだ。予約しているからと言って丁重に断る。
結局バスは15分遅れで到着した。そして謝らない(I knew it!)。バスは始めは空だったが道中で4組8人を拾い、まずLaGuardia Airportへ、そしてJFKに到着した。チップを5ドル支払う。時刻は7時前後。フライトまで3時間ある。
成田での時間節約のため、荷物を預け入れずに全て手荷物にしてsecurity checkへ向かう。僕は、昨年MITで購入した "There are 10 types of people in this world. Those who understand binary and those who don't." というジョークTシャツを着ていたが、officerがこれに食いついてきた。「何て書いてあるんだ? ちょっと見せてくれよ」 Tシャツの皺を伸ばしてみせる。
Officer「There are 10 types of....binaryって何だ?」
僕「binary is...a bit hard to explain. it's math」
O「oh... math sucks. doesn't help you make money」
僕「well, it makes the life happier」
そしたら彼はご冗談をとばかりにひゃっはっはと笑った。
Security Checkで引っかかった。鞄に入れたワインボトルが持ち込み禁止だということをすっかり忘れていたのだ。液体は駄目。基本中の基本。前日「Security で没収されるとまずいから香水は持って行くのやめようかな」とか言って準備していた自分は阿呆である。そういうわけで、1度JALのチェックインカウンターへ戻り荷物を1つ預け入れ、再びSecurity Checkへ向かう。今度は女性の係員がTシャツに食いついてきた。大人気だ。彼女は一目見てあははと笑っていたが、意味を理解しての笑いかどうかはよく分からない。
Connecticutt Limo という乗り合いバスを予約してある。朝4時45分の便だ。Yale割引をつけて往復85USD+tip だから、悪くない。電車で行っても運賃はそれぐらいになる。車で行くと往復のgasとtollでやはり近い金額がかかる。朝4時まだ真っ暗な中を徒歩でPhelps Gateという発着点へ向かう。真夜中に大荷物を抱えてNew Havenを歩くのはかなりのギャンブルだったが、無事勝利する。着いてしまえば、Phelps GateはYaleのSecurity Officeのある場所で、最も安全な場所の1つだ。
4時30分になる。バスはおろか他の乗客らしき人も一人としていない。予約した4時45分になる。来ねえ。不安に駆られて予約表を何度も確認しなおす。06/30/09 4:45AM...間違いない。前回はAMとPMを間違えてえらい目にあったが今回は大丈夫。まさか06年の9月30日ってことは…などと無駄なことを考える(日付を表すのに、mm/dd/yy または dd/mm/yy 以外は見たことがない)。Connecticutt Limoに電話をかけてみる。サービス時間外で音声ガイダンスのみだ。「…you should be at the departure location at least 15 minutes prior to the designated time…」 こっちの台詞である。Security Officeの人に尋ねてみると、乗り合いバスは”typically 5 mininuts late”だから心配するな、とのこと。
そこへタクシーが通りすがる。
タクシー運転手「乗っていかないか?」
僕「Limoを待ってるんだ」
タ「でも俺も同じ場所へつれてってやることができるぜ」 そりゃそうだけど。タクシーで行くと片道で120ドルくらいだ。予約しているからと言って丁重に断る。
結局バスは15分遅れで到着した。そして謝らない(I knew it!)。バスは始めは空だったが道中で4組8人を拾い、まずLaGuardia Airportへ、そしてJFKに到着した。チップを5ドル支払う。時刻は7時前後。フライトまで3時間ある。
成田での時間節約のため、荷物を預け入れずに全て手荷物にしてsecurity checkへ向かう。僕は、昨年MITで購入した "There are 10 types of people in this world. Those who understand binary and those who don't." というジョークTシャツを着ていたが、officerがこれに食いついてきた。「何て書いてあるんだ? ちょっと見せてくれよ」 Tシャツの皺を伸ばしてみせる。
Officer「There are 10 types of....binaryって何だ?」
僕「binary is...a bit hard to explain. it's math」
O「oh... math sucks. doesn't help you make money」
僕「well, it makes the life happier」
そしたら彼はご冗談をとばかりにひゃっはっはと笑った。
Security Checkで引っかかった。鞄に入れたワインボトルが持ち込み禁止だということをすっかり忘れていたのだ。液体は駄目。基本中の基本。前日「Security で没収されるとまずいから香水は持って行くのやめようかな」とか言って準備していた自分は阿呆である。そういうわけで、1度JALのチェックインカウンターへ戻り荷物を1つ預け入れ、再びSecurity Checkへ向かう。今度は女性の係員がTシャツに食いついてきた。大人気だ。彼女は一目見てあははと笑っていたが、意味を理解しての笑いかどうかはよく分からない。
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