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Yaleで、遊んで学ぶ日々。

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囲碁、ときどきプログラミング、ところにより経済。
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15日金曜日はドイツから来た2人と一緒に少し離れたところにあるショッピングモールみたいなところへバスで出かけた。以前いったところにあるところだ。バス停で待ち合わせて2分遅れで到着したらすでに二人とも待っていて乗るべきバスまでチェックしておいてくれていた。さすがドイツ人だ。

店ではこの前は買わなかったけどあった方がよさそうに思えてきた色々な品物を購入した。例えば、洗った食器を立てかけて空気乾燥させておく台とか、少し深めのフライパン、それからカレーは頻繁に作りそうなので自分用の鍋を買っておいた。

サランラップが欲しかったんだけどなかなか見つからなくてぐるぐる回っていたら、2人がやってきて"You're all set?"と聞いてきた。「もう済んだか」みたいな意味だ。何だよもう終わったのかと思って聞いたら"Take your time."と返ってきた。聞いたことのないフレーズだったけど「好きに時間を使っていいよ」みたいな意味だろう(今調べたらアルクにも載っていた)。

買い物後このモール内にあるビュッフェ形式の中華レストランで食事をすることに。10ドル+tipで夕飯が食べ放題だから格安だ。ちなみに昼食は6ドルとさらに安い。米国では全く同じ料理でもきっちり昼と夜で価格差別をすることが多い。日本よりも店舗間競争が緩いのだろうか。

食事中宗教の話になって自分は無宗教だと思うと言いそれを変だと思うかと聞いたら、うちのお婆ちゃんは気にするけど俺らの世代にとってはそんなのは個人の自由だとのこと。それはとりあえずありがたいことだけど、自分の(そして多くの日本人の)無宗教は各人が自由に決めたことというよりは無知と無関心から来るもののような気がするからやっぱり違うなと思う。

2人のうち1人はプロテスタントでもう1人はカソリックだというところからそれにまつわるDirty Jokeを教えてくれた。ジョークを英語で聞き取るのは結構困難だ。単なる英語の問題に加えて、文化とかステレオタイプに対するバックグラウンドがある程度必要になる。僕がどう悪戦苦闘したかよりまずそのジョークを楽しみたい場合は、web上に同じ話があったのでまずはそちらへ 。

今回のはカソリックの神父は禁欲を強いられるから変な性癖を持っていたりするっていう前提が必要だ、という説明から始まった。どうもカソリックのPriestとプロテスタントのPriestがいて(彼は両方にpriestを使っていた)、カソリックの方が外出する必要があるのでプロテスタントが代役を務めることになる(この辺はよく聞き取れなっかたけど)。何の代役かというと、「人が教会にやってきてボックスの中で自分の罪(sin)を神父に話すやつ」だとか。うん、懺悔か。Confessionのことかと聞いたら"Kind of"と返ってきた。彼も英語でどういうかは知らなかったらしい(今確認したらconfessionで正しい)。

で、confessionというのをどうやるかというと罪と罰を記載したリストみたいなものがあって、懺悔しに来た人がこれこれの罪を犯しましたと言ったらその罪をリスト内に探して対応する罰の内容を告げるんだという。例えば「プレイ10回」とか。プレイ??何を?お仕置き?と思っていたらまた「プレイ20回」という言葉がT君の口から出てきた。まずい、どうやら重要なキーワードのようだ。・・・・・・"pray"! 祈るのか! 

そういう感じで懺悔の業務をこなしていたらある人がやってきて、私は「エイネルセックス」をしてしまったと告白したらしい。「エイネル?エイネルって何?」と聞いたらしきりに自分のズボンを指差している。・・・・・・"anal"か! どうやら僕はレストランで肛門と大きな声で言っていたらしい。

困ったことにアナル・セックスはリストには載っていなかったらしい。そこでこのプロテスタントの彼はそばにいた教会付きの少年に向かって"What do you get for anal sex?"と尋ねた。すると少年は「マーズアンドスニッカーズ」と答えた。は?ここにきて火星? 何それと聞いたらチョコレートのことだという。・・・あ、snickersか。Marsもチョコレートの商品名らしい。なるほど。肝心のオチのところでこれだからまだまだ道は険しい。それでもずいぶん笑えた。むしろ分かったってことが嬉しいという側面もあると思う。

そして16日土曜日には一緒にいったうちの1人とちょっと高めの日本料理屋MISOへ行ってみた(彼はドイツ人なので「ミゾ」と発音した)。その後でワインを買ってうちの寮の遊戯室みたいなところで飲むことになったが、ここでもう一つジョークを披露してくれた。"What do shepherd dogs and shortsighted dynecologists have in common?" ここでもいちいちshepherdは羊の世話をする犬のことだよねとか、dynecologistが何かとかを聞きながら理解していく。"dynecologist"は"doctor for women"というから産婦人科医だと分かる。どうやら掛詞みたいなものらしいことが飲み込めてくるが答えが分からないので唸っていたら、"common"は知っているだろ?と聞かれた。いやそこまでひどくはないよ。

帰り際に彼が"I hope you'd some fun."と言ったけど、特に過去形だってところがよく分からなくて、明日も楽しい日をと言ってるのかとか、漠然と大学院生活を楽しくやっていきたいねと言っているのかとか考えてぽかんとしていたら、つまり今日はMISOで食事をしたし、その後ワインを買ってきただろ、そういうことが・・・と始まって、あぁ、今日楽しかったかって意味かと気づいて本気で謝った。謝罪の気持ちがちゃんと伝わっていればいいけど。何かこう聞いたことのないフレーズだとパッと入って来ないんだよ。それを彼に言ったら"Take your time"と返ってきた。これはどうやら彼のお気に入りのようだ。

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無題
宗教に関してはなぜ無関心にいたったかもいろいろですよね。日本は敗戦後宗教教育をしてはいけないことに確かなったので、欧米では自然に行われるキリスト教教育のように、子どものうちから自国の神話(イザナギ・イザナミなど)に触れるということがまずありません(天皇崇拝につながるからでしょうか)。仏教については詳しくはありませんが、早い段階に政教分離してしまっているし、細分化しているし、その現在はどうなんでしょう。社会に混ざり合っているとは思いますが。
ただ、無関心だからといって宗教的なことから自発的に自由であるというわけでは確かにないと思います。逆に言えば、そのように不自然な宗教からの隔離こそが日本で現在行われている宗教教育なようにも思える。
神がいるから世界があるのだという認識から、人が見るから世界があるのだという認識におおざっぱに言えば近代は至ったわけですが、日本人の多くはその過程を経て神の不在を受け入れたわけではない。スピリチュアルブームや神や世界、主体や生き方とかいうものを扱った漫画や小説が氾濫することからも、日本は特定の宗教に依存はしてはいないかもしれないけれど、そういう宗教的な心の補完に対しては非常に敏感だなと思います。
社会にとけこんだ思想というものの力は無視できないですし。実際にいくつかの宗教団体は教育や政治の面で大きな権力をもっているし・・・。自覚がないだけで、かなり宗教的な感覚が日本を覆っているなー、と思います。
ゆけこ 2008/08/18(Mon)13:21:10 編集
無題
日本人が「そういう心の補完に敏感」なのは、むしろ幼い段階で宗教に触れないからじゃないかな。理屈抜きで与えられる価値観というのを持たないと、その手の話に弱くなる。
KM 2008/08/19(Tue)10:57:51 編集
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